こんにちは、ラディです。
突然ですが、私は車の運転に苦手意識があります。運転していただける方がいるなら、喜んでお願いするタイプです。ただし地方に住んでいるため、通勤方法が車しか選択できず、仕方なく乗っている状況です。
最初にお伝えします。今回は車の運転が苦手という偏った立場、視点から記事を書いています。
なので今回の記事は、大の車好き、運転が得意な方、都市部等にお住まいで車所有の必要性がない方からすると全く共感できない可能性があります。あらかじめご承知おきください。
改めて考えてみたんですが、車の運転ってシンプルに怖くないですか?
私が考える車の運転の怖さというのは、
- 人の生死を握る非常に責任の強い行動であること
- あまりにも日常に浸透しすぎているため、慣れからの慢心が生まれやすい構造になっていること
- 特に地方は、車に乗らないという選択肢が選べない
ではないかということです。車の運転リスクを理解しているようでしていない、そんな感覚です。
今回はこのリスクを深掘りし、皆様が運転する際、意識にわずかでも残ればと思い執筆します。
車の運転によるリスク
ここからは具体的に車の運転によるリスクを考えていきます。今回は重篤な人身事故をおこしてしまったケースであると想定して話を進めていきます。
人身事故1回で今後の人生に制限がかかる
被害者及びその家族、自分の家族、関係者全てを不幸にします。当然自分もですよね。状況によっては一生償い続けなければならないことになります。
思い描いていた未来、将来の希望、その他やりたいこと全てに制限がかかります。優先度が被害者>自分になるからですね。
今まで当たり前のように自分や家族を優先していた生活が突然一変する。恐ろしすぎます。
リカバリーができない
人身事故をおこしたい人はいません。
それでもおきてしまった場合、金銭面についての補償は自動車保険である程度はカバーできます。
しかしそれ以外については一切リカバリーができません。
どれだけ金融資産を保有していても
どれだけ社会的に成功していたとしても
全く関係がありません。
慢心を生みやすい構造になっている
車の運転は技術的な観点からするとあまり難しいものではありません。複雑な操作を求められることもありません。
また追突防止の自動ブレーキ等の安全装備も開発され、以前よりはリスクの軽減につながっていることも確かです。
しかし、現時点では最終的な責任の所在は運転者になります。自動ブレーキはあくまで補助という認識を持った方がよいでしょう。
こういった状況でも運転は技術的に簡単で、かつ単調になりやすいため、運転に慣れてしまいます。
この運転の慣れはいつしか「自分は大丈夫」という慢心を生むきっかけになります。
これが本当に危ないのではと考えます。
自分は大きな鉄の塊を高速で動かしている、という認識だけは常に持ち続けた方がよいでしょう。
車に乗り続けることを受け入れる
都市部にお住まいの方は、自分が車必須の地方に住んでいたらと仮定して読んでください。
地方は車必須の社会であることが非常に多いです。私は通勤で平日は毎日、休日も基本乗っています。
相当な頻度で車を使用しており、車がないと生活が成り立たないところがリスクであると考えます。
どうしても車に乗ることが嫌ならば、鉄道網が整備された都市部へ引っ越すことが選択肢としてありますが、現実的にはなかなか難しいというのが実情でしょう。
職場、家を変えること>車の運転の怖さ、なので私は地方に住んでいますが、この二択を迫られること自体が地方のデメリットなのかもしれませんね。
唯一の希望は自動運転
ここまであえて触れませんでしたが解決方法ありますよね。そう、自動運転です。
一昔前ならこの希望を持つことすらできませんでした。この時代に生まれることができたことは非常に幸運だと思っています。
自動運転ならば、車の整備さえきちんとしておけば、事故がおきたとしても責任の所在が自分ではなくなります。
自動運転のニーズの高さは相当なものではないでしょうか。交通産業は当然として、不動産業界等にも大きな影響を与えそうです。
私は自動運転の車が商用化されたら本気で購入を検討します。今回は細かく触れませんが魅力的なメリットが数多く考えられます。
現在はとにかく事故を起こさないよう自分を戒めていきたいです。
皆様も本当にお気をつけて。ではまた!
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